随分、先の話のような気もするが、来年3月14日(これは私の誕生日!)
に奈良県で開催予定のゴー宣道場のテーマは、「天皇制は必要か?」
だとか。なかなか刺激的なテーマ設定だ。
小林よしのり氏らしいアイデアと言うべきか。
小林・泉美木蘭・倉持麟太郎諸氏が否定派、笹幸恵・高森両名が
肯定派に分かれて、ディベートを展開する計画という。
率直に言って、私はディベートなるものが余り好きではない。
勿論、それが知的トレーニングとして有効性が無いとは思わない。しかし、自分が本気で信じていない命題を、相手を言い負かす為に、
屁理屈を捏(こ)ねても徹底的に主張し抜く、というゲームは、
私には少し肌が合わない。言葉が本来、持つべき誠実さや尊厳を裏切るようで、一般的に言って、
とても前向きにはなれない。
相手の言い分にも謙虚に耳を傾けつつ、己れの思想的全重量をかけて、
真摯かつ真剣に言葉を交わらせる、真の意味での議論こそ望ましい。しかし、この度の場合はいささか異なる。
むしろ願ってもない企画かも知れない。
と言うのは、皇位の安定継承を巡る議論についても、皇統の維持、
皇室の存続そのものに直結する、文字通り最重要課題(諸々の重要課題の中の
1つではなく、重要課題中の最重要課題、唯一至上の最重要課題)
であるにも拘わらず、皇室を敬愛する(はずの)人々の姿勢に
もう1つ迫力を欠くのは、何故か。日本及び日本人にとって、天皇・皇室の存在は本当に必要なのか、
という根本的な問いを迂回して、その存在を漫然と自明視している為に、
その切実な存在意義を“身に沁みて”感じ取れていないから、かも知れない。私以上の世代なら、逆に天皇・皇室は無用であり、むしろ有害でさえある、
という見方が、少なくとも知的な階層の人々の間では、
ほとんど自明視されていたのを覚えているはずだ。私自身の個人的な体験としても、倉敷にいた頃、書店に並んでいる
本はほとんど“反天皇”一色であり、少なくともこのテーマに限定して言えば、
私は(家族を除き)周囲から(教師も含めて)ほぼ完全に孤立していた。
そんな中で、否応なしに天皇・皇室の必要性を繰り返し自問自答せざるを
得なかった。
ところが、今は状況が全く異なる。天皇・皇室への公然たる否定どころか、控え目な疑問の提示すら、
逆にタブー視されかねない雰囲気もある
(これは、天皇擁護論の理論的な勝利によるのではなく、
昭和天皇をはじめ皇室ご自身の、長年にわたる弛〔たゆ〕まぬ
ご献身による部分が、圧倒的に大きいのだが)。それがかえって、天皇・皇室についての根源的な考察
(更に、その存在意義の再発見、腑〔ふ〕に落ちた納得)を、
結果的に阻んでいる気配がある。
そのような条件下では、意図的にディベートの形式を利用してでも、
考え方を鍛え、深める必要があるだろう。そういう意味で、奈良県の道場で新しい挑戦に取り組むのは有意義だと思う。
小林よしのり氏と高森が天皇・皇室の存在意義を巡って、
ディベート的な形ではあれ、真っ向から議論を闘わせるというのは、
手前味噌ながら、少し面白い趣向かも知れない。しかも、理論面では小林・高森を凌駕する可能性がある、
倉持麟太郎氏もアンチの側に立つというのが、見所になりそうだ。更に泉美“探偵事務所”と恐れられる調査能力と、
一流の庶民的感覚を兼ね備える泉美木蘭氏こそ、
隠れたラスボス女王的な存在かも。
ところで、当日、私は参加できるだろうか。勿論、今から優先的にスケジュールに組み込むにしても、
まだ不確定要素が残っている。
万が一、私が参加できない場合、笹幸恵氏に奮闘して戴くことになろう。
天皇をテーマにした道場で私が不在というのも、予定調和を壊す意味では、
かえって面白い展開が期待できるのではないだろうか。
もとより私自身としては、今後二度と無さそうな企画なので、
是非とも参加したいと考えている。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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